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12/1 【中野友加里のスケーターたちの素顔】6分間練習 羽生選手の事故が一石

(2014-12-01)

報道機関

SANKEI  EXPRESS

見出し

【中野友加里のスケーターたちの素顔】6分間練習 羽生選手の事故が一石

配信日

2014121日 10:00

http://www.sankeibiz.jp/express/news/141201/exe1412011000002-n1.htm

◆内容◆

フィギュアスケート男子でソチ五輪金メダリストの羽生結弦(はにゅう・ゆづる)選手が大きなアクシデントに見舞われたのは11月8日の中国杯でした。フリー直前に行われる公式練習で中国選手と激突。頭部や顎の下から出血する事態になりました。それから、3週間後のNHK杯への出場を決めた羽生選手の決断からは、五輪王者としての強い意思、そして責任感が伝わってきました。

 演技直前の公式練習は通称「6分間練習」と言われ、公式大会では最大6人ごとにグループに分かれて滑ります。最終グループというのは、ショートプログラム上位6人のことです。その6分間は選手たちにとって、まさに最終調整の場なのです。

 ■常に「衝突の恐れ」認識

 最終調整といっても、ほとんどの選手は氷の感触を確かめる程度では済みません。昨今は難度の高い要素のプログラム構成になっていて、選手たちは気になる演技要素を一つ一つ確認していきます。

ジャンプをメーンに行い、男子の選手は6分間練習中に体が動いてきたところで次々と4回転ジャンプの確認を行います。当然のことですが、2回転よりも3回転、3回転よりも4回転を跳ぶときのほうが助走のスピードは速くなります。ジャンプの高さと質、さらに体の回転軸を整えるには、それに伴ったスピードが必要だからです。

 選手たちの集中力はものすごく高まっています。リンクは1つで、選手は6人。男子の4回転はトーループとサルコーが主流ですが、カーブや流れなどの都合上、どの選手もほぼ同じコースで跳ぶことが多いです。会場で観戦したことがある読者なら、選手たちはよくぶつからずに、それぞれが調整できているなと感じたはずです。

 実際にぶつかることはなくても、ヒヤリとする場面に遭遇した人もいるのではないでしょうか。私自身は6分間練習でぶつかった経験はありませんが、それでも衝突する恐れがあるという認識は持っていました。

 ■頭の負傷、強行への是非

 羽生選手がぶつかった瞬間は、テレビで見ていました。一瞬の出来事で本当に驚きました。出合い頭の衝突で、目を疑いました。

流血が激しかったのは、最終調整で体が温まっており、それだけ血の巡りも速くなっていたことが影響したと想像できます。あれだけの流血をしていると、驚きと不安で羽生選手が立てなくなるのも当然です。おそらく、羽生選手の中でいろいろな思いが駆け巡ったことでしょう。

 この後、羽生選手が出場を強行したことについて、賛否の声が国内外で上がりました。それでも、彼は五輪王者としての責務、日本代表としての意地で、どんなに転倒しても最後まで滑り切ったことは称賛に値します。

 アメリカの4大スポーツの一つである、アメリカンフットボールなどに比べ、フィギュアスケート関係者は危機感が欠如しているという指摘もありました。しかし、私が現役時代に指導を仰いだ佐藤信夫コーチは、頭を打ったらすぐに病院に行くように指示していました。状況によっては救急車を呼ぶことも想定しています。ぶつかり具合に関係なく練習をストップし、頭もすぐに冷やします。佐藤コーチはそれだけ頭部への衝撃が危険だと認識していたのでしょう。

 羽生選手もすぐに米国の医師の診察を受けており、脳振盪(しんとう)の危険はないと判断された上で滑ったと報道されています。

■6人は多すぎるとの声も

 6分間練習については、6人は多すぎるので、4人に減らせば、安全性が増すという声もあります。スピード化の時代に今後は国際スケート連盟で議論が始まるかもしれません。ただ、4人が一つのグループになると、6分間練習や整氷の回数が増え、待機時間が長くなる最終グループなど上位選手の集中力への影響は避けられません。そうしたことへの対処法の検討も必要です。

 いずれにせよ、選手が良いコンディションで、そして安全に、ベストなパフォーマンスを発揮できる環境作りを進める議論に、羽生選手の事故が一石を投じたことは間違いありません。私も元選手の目線から、そして報道に携わる立場から考えていきたいと思っています。(元フィギュアスケート選手、フジテレビ職員 中野友加里/SANKEI EXPRESS)

 ■なかの・ゆかり 1985年、愛知県江南市生まれ。史上3人目のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に成功し、2006~08年まで3年連続で世界選手権日本代表。10年に現役引退し、フジテレビに入社。早大大学院修了。著書「トップスケーターの流儀~中野友加里が聞く9人のリアルストーリー」(双葉社)が発売中。

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10/27 【中野友加里のスケーターたちの素顔】大ちゃんへ「さらに男に磨きをかけてね」

(2014-10-27)

報道機関

SANKEI EXPRESS

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【中野友加里のスケーターたちの素顔】大ちゃんへ「さらに男に磨きをかけてね」

発行日

20141027日 11:35

http://www.sankeibiz.jp/express/news/141027/exe1410271135001-n1.htm

◆内容◆ 

10月14日は、忘れられない日になりました。

 フィギュアスケート男子の高橋大輔選手が現役引退を表明したのです。早朝に飛び込んできたニュース。フジテレビを含め、各局ともスポーツコーナーを中心に大ちゃん一色の報道となりました。私も、夕方の情報番組「スーパーニュース」に出演するなど、慌ただしい一日になりました。

 引退について、内心では「そろそろかな」と思っていたのも事実です。

 昨夏に話をしたときには、「(4年後の)平昌五輪までやっていたい。引退を考えたくない」と打ち明けてくれていました。しかし、実際にソチ五輪のシーズンを迎えると、けがにも悩まされました。その影響もあるかもしれませんが、4回転ジャンプもなかなか決まらなくなり、本人の中でもさまざまな悩みがあったと思います。試合を見ていると、スタミナの面でも少しずつ厳しくなっていたのかなという印象を受けました。

 ソチ五輪を終え、一度は「休養」を表明しましたが、内心では葛藤があったかもしれません。「休養」によって現役を続けるかどうかについて、自分と向き合う時間は稼げますが、結果的には一度気持ちが切れてしまうとリンクへ戻るための熱を起こすのは難しいものです。

そんな中で、「休養」という言葉で濁すことを良しとせず、決断したのではないでしょうか。そして、「引退」の2文字を口にしたということは、名残惜しいとは思いますが、競技人生に悔いはないとしっかりとピリオドを打てたのだと思っています。

 「男子」の屋台骨支えた

 実績は改めて振り返るまでもありません。2010年バンクーバー五輪で日本男子初の表彰台に上がる銅メダルを獲得。直後の世界選手権で日本男子初の優勝を遂げると、2012年にソチで行われたグランプリ(GP)ファイナルでも日本男子初の頂点に立ちました。

 エースの責任を背負い、「スケーター、高橋大輔」として一時代を築いた、彼の功績は、まさに称賛に値します。

 岡山市内で行われた引退表明の際、大ちゃんがあるエピソードを披露したそうです。

 「名古屋での全日本で、女子のフリーに比べ、男子のフリーでは、会場のお客さんがガクンと減ったことがありました。男子にも注目してほしかった。あれが、僕の中ではモチベーションになっていました」

全日本選手権の歴史をひもとくと、その状況にあてはまるのは、どうやら2000年の全日本ジュニア選手権ではないかと推測できます。

 中学3年だった私が優勝し、鈴木明子さんが2位で、安藤美姫(みき)さんが3位でした。記録を見ると、大ちゃんは4位でした。正直に言って、あのころは女子人気がすさまじく、一方の男子は、スポーツニュースのダイジェストでしか放映されないこともあった時代です。

 大ちゃんや織田信成さんや小塚崇彦(こづか・たかひこ)選手ら、のちにスターへとのし上がる若き男子選手たちから、負けん気の強さを前面に出して戦う女子の激しい代表争いを見て、「女子は強いなあ!」と言われていた日が懐かしいです。

 でも、大ちゃんたちは「いつか自分たちも」と、女子選手に負けまいとスキルを磨いていたのでしょう。いまや、男子は女子に劣らない人気競技へと成長しました。その屋台骨を支えたのも、まさに大ちゃんでした。

・振付師に挑戦して!

 引退表明の日にテレビでもお伝えしたのですが、大ちゃんの演技の中で最も衝撃を受けたのは、2007~08年シーズンのショートプログラム「白鳥の湖」です。クラシック音楽の名曲をヒップホップ調で舞った演技は、まさにフィギュアスケートの域を超えていたと言っても過言ではありません。

 そんな演技を生み出したのは、卓越したダンス力。小さいころから踊ることが大好きだった彼の真骨頂を見た思いでした。上半身と下半身をうまく連動させながら滑り、海外の会場でもいつも拍手喝采を浴びていました。

 シーズン序盤のスケートアメリカで披露した姿をテレビで見たときは、「こんな演技ができるんだ」と全身に鳥肌が立ちました。

 彼のステップをまねしたくて、映像を見返して何度も試みたのですが、体が振り付けに追いつきませんでした。氷を刻む華麗なステップで妖艶(ようえん)に舞う魅力的な姿は、女子の私から見ても「一番の見本」でした。

私は引退後、メディアの世界からスポーツの持つ力を伝えたいとテレビ局へ入社しました。大ちゃんはまだ、次の目標が見つからないそうです。私はひそかに、振付師に挑戦してみてほしいと思っています。想像力豊かな彼が、どんな振り付けを生み出すかが楽しみだからです。

 どんな道に進むにせよ、これからも大ちゃんの人生を応援してきたいと思っています。「大ちゃん、さらに男に磨きをかけて頑張ってくださいね」(元フィギュアスケート選手、フジテレビ職員 中野友加里/SANKEI EXPRESS)

 ■なかの・ゆかり ?1985年、愛知県江南市生まれ。史上3人目のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に成功し、2006~08年まで3年連続で世界選手権日本代表。10年に現役引退し、フジテレビに入社。早大大学院修了。著書「トップスケーターの流儀~中野友加里が聞く9人のリアルストーリー」(双葉社)が発売中。
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バンクーバー五輪で日本男子として初の表彰台に上る銅メダルを獲得した高橋大輔のフリーの演技



10/14 【中野友加里のスケーターたちの素顔】アピールが大切な五輪翌シーズン

(2014-10-14)

報道機関

SANKEI EXPRESS

見出し

【中野友加里のスケーターたちの素顔】アピールが大切な五輪翌シーズン

発行日

20141014日 1615

http://www.sankeibiz.jp/express/news/141014/exe1410141615003-n1.htm

◆内容◆ 

「4年は長いなあ」。当時の心境を思い出します。出場を逃した2006年のトリノ五輪が閉幕し、また4年後に幕を開けるバンクーバー五輪へ向けた新たなシーズンが始まったときのことです。世代交代が進み、浅田真央選手をはじめ年下の選手たちが「さあ、次は私たちの出番だ」とばかりにやる気をみなぎらせていました。一方の私は、トリノを目指したシーズンから次のシーズンに向けて気持ちの切り替えが必要でした。

 そこからの4年の月日が、実はあっという間だということに気付かされたのは、その時間が経過してからのことです。頭で考えると4年間は長いですが、課題に取り組み始めると時間はどんどんと過ぎ去っていくものです。

 五輪の翌シーズンというのは、若い選手にとっては大きなチャンスの時期です。アスリートにとって、五輪は大きな節目です。フィギュアスケーターにとっても例外ではありません。少なからずの国内外のトップ選手が夢舞台を最後に、第一線から退きます。トリノ五輪後には、金メダルに輝いた荒川静香さんが引退しました。

 「次の五輪へ向けて新たな戦いが始まる」。私はそう思って、06~07年シーズンの最終目標を世界選手権に定め、少しでも五輪に近づけるよう、そこに向けて練習に本腰を入れました。

 その年の世界選手権は東京開催。2年連続で出場権を獲得した私は、開会式で選手宣誓を行う思い出深い大会になりました。そして、つかの間の休息を取る暇もなく、バンクーバー五輪へ時計の針が進んでいきました。

審判員に名前売り込む

 シーズンは1年1年の積み重ねです。五輪の翌シーズンの位置づけを聞かれたら、私は「『次は自分の時代』と名前をアピールするシーズン」と答えます。五輪に向けて練習を積み重ねていくためのステップです。何より、国際大会の審判員に名前を売り込む意味でも大事なシーズンなのです。

 採点競技は、選手の印象やイメージの刷り込みも大切です。少しでもインパクトのある結果を残すことで、「この子は演技が美しい」「ジャンプが跳べる」「スピンが速い」などと覚えてもらうことが重要なのです。

一方で、新たなライバルも出現してきます。私は自らの現役時代を「サンドイッチ」と揶揄することがあります。上の世代には荒川さんや村主章枝(すぐり・ふみえ)さんがいて、下の世代には安藤美姫(みき)さんや真央ちゃんがいました。先輩の背中を必死で追いかけていたのに、気付いたら追われる立場になっていたのです。

 初出場したソチ五輪で12位だった村上佳菜子選手を見ていると、置かれている立場が当時の自分と少し似ているかなとも思います。

 彼女にとって、今季は大変なシーズンになるでしょう。代表最年長だった鈴木明子選手が引退し、真央ちゃんも今シーズンは休養します。上の年代がいなくなる一方で、宮原知子選手をはじめ、ジュニアからシニアへ上がって18年の平昌五輪を目指す選手たちが台頭してきます。

・個性が生まれてくる

 次世代の選手には、「私が一番になるんだ」、「ニューヒロインは私だ」と強い自負で臨んでほしいです。「真央ちゃんが休養しても、日本の女子シングルはやっぱり強い」とファンが喜ぶような存在になってほしいです。そして、全力で世界にアピールしてくれればいいなと思います。そこから、それぞれの選手の個性が生まれてくるはずです。

 最近のジュニア世代を見ていると、みんな滑ること、踊ることがすごくうまくて、高い技術も持ち合わせています。4回転ジャンプを跳べる選手がいるということも聞いています。一方で、卓越した選手がいないようにも感じてしまいます。足りないのは、個性ではないでしょうか。静香さんにも章枝さんにも、美姫さんにも真央ちゃんも、それぞれの演技に個性が感じられました。「私はこの部分が得意なんだ」とどんどんアピールすれば、応援している私も楽しくなります。

10月4日のジャパン・オープンで五輪翌シーズンが本格的に幕を開けしました。エースだった高橋大輔選手が休養しても、羽生結弦(はにゅう・ゆづる)選手をはじめとして層の厚い男子に比べると、女子には勢いの差のようなものを少し感じてしまいますが、まだシーズンは始まったばかり。今シーズンが終わるころには、どんな選手が頭角を現しているのか期待も膨らみます。女子選手の奮起を期待しています。(元フィギュアスケート選手、フジテレビ職員 中野友加里/SANKEI EXPRESS)

■なかの・ゆかり 1985年、愛知県江南(こうなん)市生まれ。史上3人目のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に成功し、2006年~08年まで3年連続で世界選手権日本代表。10年に現役引退し、フジテレビに入社。早大大学院修了。著書「トップスケーターの流儀~中野友加里が聞く9人のリアルストーリー」(双葉社)が発売中。

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ソチ五輪翌シーズンの幕開けとなるジャパンオープンで、表彰式後に観客の声援に応える(右から)無良崇人(むら・たかひと)、村上佳菜子、宮原知子、小塚崇彦(こづか・たかひこ)の各選手





9/1 【中野友加里のスケーターたちの素顔】「弟」崇彦の完全燃焼見届ける

(2014-09-01)

報道機関

SANKEI EXPRESS

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【中野友加里のスケーターたちの素顔】「弟」崇彦の完全燃焼見届ける

発行日

201491日 1105

http://www.sankeibiz.jp/express/news/140901/exe1409011105001-n1.htm

◆内容◆ 
名古屋のフィギュアスケート選手が必ずと言っていいほど出場する大会があります。

 フィギュアスケートの醍醐(だいご)味といえば、ジャンプかもしれませんが、この大会はスピンやステップの技術や演技の表現力で競う一風変わったものです。名称は「小塚トロフィー(杯)」。まだ幼かった私は「コヅカって何だろう」と疑問を抱きつつ、出場した級での優勝を目指して滑っていた記憶があります。

 後に知ることになりました。「コヅカ」は1989年から始まったこの大会の創設者で、愛知県を“フィギュア王国”と呼ばれるまで礎を築いた小塚光彦(こづか・みつひこ)氏の名字だったということを。そして、私の少し下の世代に「フィギュア界のサラブレッド」と称される光彦氏のお孫さんがいることも。68年のグルノーブル五輪に出場した嗣彦(つぐひこ)氏を父に持つ崇彦(たかひこ)選手。後に現在の日本男子の黄金世代を築くことになるスケーターの一人です。

 同じ愛知県育ち。小学校のころは、別のスケートリングで練習していたのでそれほど交流はありませんでしたが、スケーティングのうまさはすでに知れ渡っていました。私も初めて彼の滑りを目の当たりにしたときは、衝撃を受けました。

スケーティングがうまいというのは、一般的に上半身が安定し肩の力が抜け、氷に吸い付くような滑りのことを言います。ひと蹴りでどれだけ氷上を進めるか。スケーティングがうまい選手は、数回蹴るだけで、リンクの端から端まで滑ることができるのです。

 崇彦のスケーティングは無駄な力が入っておらず、滑りに変な癖もありません。これは生まれ持った才能であり、そのスケーティング技術をうらやむ選手は少なくありませんでした。世界でも1、2を争うレベルなのです。

 悩む私にアドバイスも

 私は早大に進学後、崇彦選手と同じ佐藤信夫先生の指導を受けるようになりました。改めてゼロから徹底してスケーティングの基礎をたたき込まれることになったのですが、染みついた癖を修正することにすごく苦労しました。

 大学1年のときは、実家がある愛知県から横浜のリンクまで通っていました。当時はまだ高校生だった崇彦も名古屋から通っていたので、よく一緒でした。私が悩んでいることを傍らで見ていた崇彦から、アドバイスをもらったこともありました。

2人で目指したバンクーバー五輪。私は夢かなわずに引退し、彼は見事に出場切符をつかみました。最終予選を兼ねた全日本選手権のフリー終了直後、弟のような崇彦が、私の結果に半泣きになって駆けつけてきてくれ、その姿に、思わずもらい泣きしてしまいました。

 後に彼は後にこう言っていました。「一番近くで、同じ目標を持ってお互いに頑張ってきた姿を知っているからこそ、ほんのわずかな差で一緒に行けなかったのが悲しかった」。私が努力していた姿を見てくれていたからこそ、悲しんでくれたのだと、今でも感謝しています。

 バンクーバー五輪で8位入賞を果たした崇彦は、日本男子初の銅メダルを獲得した高橋大輔選手から五輪後のテレビ番組で「次は崇彦の番だ」と指名されていました。サラブレッドの未来はすごく明るかったように見えました。

 悔しさバネに奮起を

 しかし、その後の4年間は、本人も予想していたものとは違ったと思います。五輪直後の世界選手権で銀メダルを獲得したところまでは良かったのですが、下の世代から羽生結弦(はにゅう・ゆづる)選手や町田樹(たつき)選手らが台頭。大ちゃんを追い越して飛躍するはずが、逆に追い上げられる立場になりました。

ルール変更もあって、4回転ジャンプの確率と精度が求められる時代になりました。4回転を成功させないと点数が伸び悩み、トップスケーターは4回転の確率と精度をどんどん上げていきました。滑りやステップに定評があった崇彦は、4回転の成功率を上げるのにかなり苦しみました。

 演技を見ていると、体力的にも年齢とともに少しずつ厳しくなっていき、満足に練習を積むことができなくなったのではないかと思います。けがもあり、結局は4年前の私を思い起こすかのようなわずかな差でソチ五輪出場を逃してしまいました。

 その後、崇彦は現役続行を表明しました。まだ完全燃焼できていない、まだできるという思いが強くなったのでしょう。表情からも、納得していないように見えました。

 日本代表クラスでは、大ちゃんが休養している今季は最年長です。けがで苦しんだ大ちゃんもそうですが、年齢を重ねることでけがのリスクも高まります。崇彦もこれからは体との相談になるでしょう。ここから先は一日一日が勝負だと思って挑んでほしいです。

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3月の世界選手権で演技をする小塚崇彦(たかひこ)選手。ソチ五輪出場を逃した悔しさをぶつけた



6/30 【中野友加里のスケーターたちの素顔】エース2人の休養宣言 「まだできる」の思い

(2014-06-30)

報道機関

SANKEI EXPRESS

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【中野友加里のスケーターたちの素顔】エース2人の休養宣言 「まだできる」の思い

発行日

2014630日 1225

http://www.sankeibiz.jp/express/news/140630/exe1406301225003-n1.htm

◆内容◆ 

「またご飯行こうね」。こんなメールをもらったのは、フィギュアスケート男子の髙橋大輔選手が来季の休養を明らかにしたときのことでした。

 2006年のトリノ五輪から今年2月のソチ五輪まで3大会連続出場。10年のバンクーバー五輪で日本男子初の銅メダルを獲得したのをはじめ、世界選手権もグランプリシリーズ(GP)のファイナルも日本男子で初めて制しました。実力、人気ともに日本男子を牽引(けんいん)してきたエースの休養には、少なからず驚きもありました。

 1年ほど前に話をしたときには、「俺は(18年の)平昌(五輪)までやる。ずっと競技を続けたい」と明言していたからです。それでも、五輪シーズンが始まると、古傷だった右膝の痛みに苦しめられ、五輪に万全のコンディションで臨むことができなかった。そんな中で、一度切れてしまったモチベーションは、来季へとすぐに高めることができなかったのだと思います。

 では、引退できるかといえば、そこまでの踏ん切りもつかなかったのでしょう。悩んだ末の「休養宣言」だったのだと思います。

さらに、女子の浅田真央選手も来季の休養を宣言。日本フィギュア界は来季、男女のエースだった2人抜きでシーズンを迎えることになったのです。

進退考えさせられる

 06年トリノ五輪。男女を通じて日本で初めて金メダルを獲得したのが、荒川静香さんでした。惜しくも表彰台には届きませんでしたが、卓越した表現力で村主章枝(すぐり・ふみえ)さんも4位入賞を果たしました。

 2人は五輪から帰国後、自らの意思でその後の進退を決断しました。荒川さんは引退してプロの道へ。そして、村主さんは4年後のバンクーバー五輪を目指し、さらに再びソチ五輪へと目標を定めてチャレンジを続けました。いまなお現役を続けています。

 私がまだジュニアの選手だった中学2年のとき、推薦枠で初めて選ばれた全日本選手権に荒川さんも村主さんも出場していました。2人はお姉さんのような存在で、目標でもあり、トリノ五輪を目指したときにはライバルでもありました。そんな2人の決断は、私がスケート選手としての進退を初めて意識したときかもしれません。

バンクーバー五輪を目指した私は24歳のときの全日本選手権で3位となり、残念ながら夢をかなえることができませんでした。振り返れば、体はすでに限界を超えていました。最後のシーズンは、練習量に体がついていかなくなっていました。「もっと滑っていたいのに…」。痛み止めを飲んでリンクに上がる日々でした。いわば、全日本での演技の瞬間に私は完全燃焼していたのです。次の4年間を考えることはもう無理でした。

 ・競技見つめ直して

 大ちゃん、そして真央の休養を聞き、改めてスケーターの進退を考えさせられました。

 海外では金妍児(キム・ヨナ)さん(韓国)をはじめ、休養後に再び五輪を目指す選手がいますが、日本ではこれまであまりなかった選択肢です。

 私個人の考えとしては、選手としての理想は、試合をコンスタントにこなして実績を積み重ねていくことだと思っています。休養が大きな決断なのは、ブランクによって試合勘が失われるリスクがあり、復帰の道がそれだけ険しいのも現実だからです。安藤美姫さんが休養から復帰して、「試合はこんなに疲れるんだ」と嘆いていた姿が印象に残っています。

一方で、「まだやれるかもしれない」という思いが少しでも残っている間は、休養という選択肢も有効だと思います。引退するのは「本当にやめたい」「やりきった」と思った時点でいいと思うからです。

 とくに真央は幼少期から大きな期待を背負って滑ってきました。ソチ五輪ではショートプログラムで16位と出遅れながら、フリーで巻き返して「やっぱり真央は強いな」と感心させられました。3月にさいたまで行われた世界選手権も圧巻の演技で優勝。このとき、「自分が求めているスケートがようやくできた」と思えたのと同時に、心身ともに疲れたのかなというのが私の受け止めです。

 大ちゃんにも真央にも、まずはゆっくりと休み、昨季までとは違う目線で「フィギュアスケート」を見つめな直してほしいなと思っています。その上で、もう一度、試合の会場で滑りたいと心から思えたときに、ぜひ戻ってきてほしいです。

そして、次の世代の若い選手たちには、もし2人の両エースがいなくなってしまっても、日本のフィギュア界は大丈夫だとファンの方々に思わせられるくらいの演技で盛り上げていってほしいと願っています。(元フィギュアスケート選手、フジテレビ職員 中野友加里(ゆかり)/SANKEI EXPRESS)

 ■なかの・ゆかり 1985年、愛知県江南(こうなん)市生まれ。史上3人目のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に成功し、2006年~08年まで3年連続で世界選手権日本代表。10年に現役引退し、フジテレビに入社。早大大学院修了。著書「トップスケーターの流儀~中野友加里が聞く9人のリアルストーリー」(双葉社)が発売中。

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ソチ五輪のフィギュアスケートのエキシビションの練習で手をつないで滑る浅田真央選手(左)と髙橋大輔選手





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