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10/23 濱田美栄が指導の道へ進んだ原動力 フィギュアスケート育成の現場から(1)

(2014-10-23)

報道機関

Sportnavi

見出し

濱田美栄が指導の道へ進んだ原動力 フィギュアスケート育成の現場から(1)

配信日

20141023日 1046

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/figureskate/all/1415/columndtl/201410220001-spnavi

◆内容◆松原 孝臣

・関西大学スケート部に刻まれた歴史

たくさんのスケーターが滑っている。小学生であろう小さな子から、高校生くらいの選手まで、リンクいっぱいに広がり、滑っている。
 壁面に大きな写真が吊られている。高橋大輔、織田信成がいて、指導者として活躍する佐藤信夫、佐藤久美子の現役時代の写真もある。それら部の出身者たちの写真が、刻まれた歴史を伝える。
 関西大学スケート部は1948年にアイスホッケー部、55年にアイススケート(フィギュアスケート)部が創部され、その後スピードスケートが加わり、現在はフィギュアスケートとスピードスケートで構成されている。そしてフィギュアスケートでは、数々の選手を輩出している。
 2006年には国際規格のアイスアリーナが完成し、関西大学のみならず、日本フィギュアスケートの有力な拠点となってきた。

・32年を迎えた指導歴

リンクには、選手たちを止めては声をかけるコーチたちの姿も見える。
 その1人に濱田美栄がいる。
 京都醍醐FSCのコーチであり、関西大学アイススケート部のコーチでもある。関西大学のコーチには、2007年に就任した。
「声をかけていただいたのは、少なくとも真面目にやってきたことを認めていただいたんだなと感謝しています。ほんとうにいい練習環境ですよね」
 指導歴は長い。
「指導者になってから、32年になります」
 長年の指導の中で教えてきた選手も、数多くにのぼる。その中には、2003年の世界ジュニア選手権で優勝した太田由希奈、四大陸選手権に日本代表として出場した北村明子や澤田亜紀らがいる。
 現在も、昨シーズンに続きグランプリシリーズに出場する宮原知子(関大中・高スケート部)をはじめとする選手たちの指導にあたっている。
「これまで、どこまで選手を育てることができたのかは分からないけれども、一生懸命教えてきたということだけですね。フィギュアスケートが好きだから、どうやったらみんながよいスケーターになるかということは、すごく考えてきましたし、考えています。毎日毎日、こうしたほうがいいかなって、ちょっとずつ考えては実行している感じですね」

・劣等感ばかりに襲われた米国留学時代

もともとは選手だった濱田は、同志社大学を卒業したのち、コーチへと転身した。
 指導の道へ進んだきっかけの1つは、学生時代の留学経験だった。
「大学生のとき、米国に留学したんですね。そのとき、『もう少しこういうことを教わっていたら、こうしていたらよかったな』って、フィギュアスケートのことで感じさせられることがたくさんあったんです」
 感じたことは「いろいろ」だったと言う。
「滑り方、見せ方、ほんとうにいろいろ。もちろん私自身、教えていただいた先生にはとても感謝しているんですけれども、もうちょっと小さいときにこういうふうにしていたらと、知ることがたくさんありました。それを子どもたちに伝えていきたいと思って」
 今まで知らない世界に触れたからこそ、知らなかったということに後悔があり、これからを歩む子どもに教えていきたいと考えた。それが指導の道へと進む原動力となった。
 米国で過ごした時間がそれだけ刺激的であったということは、日本と米国の、フィギュアスケートをめぐる環境の違いが、どれだけ大きかったかを示している。
「具体的に思い出そうとしても、細かなところはあまり思い出せないんですけれど。それはもう、日本の方はシステムがしっかりしていなかったというか。今でこそ日本がね、リードしていっているような感じですが、当時はまあ後進国でしたね。そうそう、米国で覚えていることの1つが、リンクに行くと『この人、上手だな、上手だな』ってもう劣等感ばかりに襲われたことですね。とにかく違いがありました」
 そして続けた。
「フィギュアスケート自体、日本では知られていなかったものですから。ふつうだったら『野球って何ですか』と聞く人はいないですよね。でも当時はそういう質問も少なくなかった。『フィギュアスケートというのは氷上でくるくるまわるもので』と一から説明しないといけないことも珍しくなかったんです。
 このごろはジャンプのこともみんな知っているじゃないですか。それこそ、トリプルアクセルとか。あ、やっぱり変わったなって思います。競技を知らない人がいなくなって、すごく嬉しいです」

・指導者としてのこだわりは「いつも初級」

 フィギュアスケート後進国であったというかつての日本と、リードする現在。競技自体が知られていなかった当時と、ジャンプの名前も浸透した今日。
 2つの話は共通して、フィギュアスケートの立ち位置の違いを示している。
 濱田は、その違いを実感してきた。
 そしてフィギュアスケートが一定以上の認知度を誇る今、指導者としてのこだわりをこのような言葉にした。
「『いつも初級』。それを大切にしていきたいと思っています」
 その言葉には、どのような思いが込められているのか。
 全国のリンクの上に練習に懸命に励む選手がいて、熱心に教える指導者がいて、フィギュアスケートの歴史は今日まで築かれてきた。どの時代も、その原点は変わらない。
 ソチ五輪のシーズンを最後に、日本をけん引してきた選手の中には引退を選んだ者が少なからずいたことで、フィギュアスケート界の今後が話題となってきた。そんな今だからこそ、現場の姿を、現場にいるコーチや関係者はどう考えているのかを知りたくて、訪ねた。
(第2回に続く/文中敬称略)
※「フィギュアスケート育成の現場から」と題し、全国の指導者たちを訪ねる企画を今回よりシリーズでお届けします。

201410220001-spnavi_2014102200002_view.jpg

2006年に完成した国際規格のアイスアリーナ

201410220001-spnavi_2014102200003_view.jpg

濱田(中央)は現在、宮原知子(左端)をはじめとする選手の指導にあたっている

201411264.png

米国留学当時、「劣等感ばかりに襲われた」と語る濱田

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