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12/20 シリーズ決断 ~トップランナーたちの哲学~ 第3回 髙橋大輔 20年間続けてきて誇れるものは何もない~謙虚すぎる男の引き際の美学~

(2014-12-20)

報道機関

JCOM×バース&ディ

見出し

シリーズ決断 ~トップランナーたちの哲学~ 

第3回 髙橋大輔 20年間続けてきて誇れるものは何もない~謙虚すぎる男の引き際の美学~

http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/12/19/kiji/K20131219007229800.html?feature=related

◆内容◆文=TBSテレビ『バース・デイ』プロデューサー菊野浩樹

フィギュアスケート界で一時代を築き上げた男、高橋大輔。今年10月、惜しまれつつも引退を決断したが、その功績は色あせることはない。引退発表から3週間後、これまで語ることのなかった胸中をTBS「バース・デイ」の取材で告白した。エースとして戦い続けた苦悩の日々、羽生結弦への想い、そして引退決断の真相…。番組内で放送しきれなかった独占インタビューの内容をプロデューサーが語り明かす----

日本以上に世界で絶賛された高橋。彼がカメラの前で語った独白とは?

ソチ五輪・金メダリストの羽生結弦を筆頭に、先日のNHK杯を制した村上大介、さらに無良宗人、町田樹など、現在、日本男子フィギュア界はそうそうたる面々が顔を揃える。そんな日本男子フィギュアを長年にわたり先頭になって引っ張ってきた高橋大輔が、2014年10月14日、現役引退を発表した。高橋は2010年バンクバー五輪・男子シングルで銅メダル、トリノ世界選手権では金メダルを獲得。この2つのメダルは、どちらも日本人で初の快挙という偉業であった。いや、“快挙”とか“偉業”という言葉だけでは、賛辞が足りないかもしれない。
大大大大大・・・(あといくつ、大をつければ良いのか・・・)、それ位の、大大大大大・・・快挙!
であり、偉業であった。
彼のすごさは日本でも十分に評価されているが、実は世界では日本以上に賞賛されているのをご存知だろうか。

「高橋大輔は氷上の最も美しいアーティストの一人だ。職人が持つ念入りに研がれた道具のように、磨き上げられた肉体を持つダンサーだ」(フランスのあるフィギュア・スケート雑誌)

「Daisuke Takahashi will still go down as one of the greatest figure skaters in history.
The legacy ,as it stands right now, already speaks for itself.
(
高橋大輔は最も偉大なフィギュアスケーターとして、歴史にその名を刻むだろう。彼が残す遺産は、今現時点においてさえ、そのことを雄弁に物語っている)
(
ジャッキー・ウォン/アメリカのジャーナリスト)

高橋の引退は世界中でも大きく報道された。イタリアのある記事には、こんな言葉が踊った。

『フィギュアスケート界は、この15年間で最も代表的な顔であり、歴史上、表現者として欠かせない選手を失うことになる』

そんな彼が引退を発表した後、彼の独占インタビューが私の担当する番組「バース・デイ」で許されることになった。私は当日どうしても都合が会わず残念ながらそのインタビューに立ち会うことが出来なかったが、後にその収録テープをじっくりと見ることが出来た。
彼は、言葉を選びながら丁寧に、その気持ちを語っていく。
私は、世界一のスケーティングとまで言われた男の、あまりにも謙虚な言葉に驚いた。

高橋選手のインタビューは2時間以上にも及んだが、この番組は30分の番組であり、そのすべてを伝えることが出来なかった。今回、伝え切れなかったインタビューの一部を、できるだけ忠実にこの場で紹介したいと思う。そこには、素直な言葉があり、苦しみがあり、スケートへの偽らざる気持ちがあふれていた・・・。

 

スケートを始めた頃の意外な素顔
「学校に行くよりは、楽しかっただけ・・・。自信があるとかじゃない、でも他のものが自信なさ過ぎて」

高橋大輔がフィギュアスケートを始めたのは7歳のときだった。
今から20年以上前、男の子がフィギュアスケートをやるというのは、どんな環境だったのか?
高橋の“謙虚さ”の原点が、このフィギュアを始めた“きっかけ”にあるようだ。

---当時フィギュアをやる人が少なかった中で、野球とかサッカーじゃなくて、なぜフィギュアスケートを始めたんですか?

高橋「もともと野球とかサッカーとか球技が得意じゃなくて。3人いる兄はみんな少林寺拳法やっていて格闘系だったんですけど、それもあんまり好きじゃなくて。僕はちょっと変わった子だったのかもしれないけど、団体戦、団体生活があんまり得意ではなかったので。スケートの中で守られて過ごしているのが心地よかったかどうか分からないけど、自分らしくいられるところだったのかなと思いますよね。(今思うと)何が楽しかったんでしょうね。まあ、学校へ行くよりは楽しかった。楽しいっていうより、学校で気を遣って生活するよりかは、楽だったんでしょうね。褒めてくれたりするのが楽しかったのか・・・上手だね、とかさ」

---自信はありましたか?

高橋「自信があるとかじゃないですけど、他のものが自信なさ過ぎて、その中では一番自信持てるかなって感じでしたね」

4人兄弟の末っ子だった高橋。兄3人が少林寺拳法をやっていたというと、兄三人はボクシングの亀田3兄弟みたいな感じだったのか。学校では“気を遣っていた”と言っている。内向的な子供だったという記事もある。そんな少年がフィギュアスケートに出会い、居場所を見つけた・・・。

大輔少年の才能は長光歌子コーチと出会ったことで花開いていく。ジュニアで頭角を現し16歳の時にシニアに参戦。2006年に日本の男子で唯一、トリノ五輪に出場、19歳だった。
プルシェンコが金メダルをとったこの大会、高橋は8位だった。
そして女子の金メダルは日本の荒川静香だった。

 

男子フィギュアは閑古鳥が鳴いていた時代
「どこまでいっても(浅田)真央には勝てないですからね、注目で言うと」

トリノ五輪の直前、浅田真央が代表入りするかどうかで大騒ぎがあったことは、今も記憶に新しい。GPファイナルで優勝していた浅田は「五輪前年の6月30日までに15歳」という年齢制限にわずか87日足りず、オリンピック出場が叶わなかった。その浅田真央に荒川静香、村主章枝、安藤美姫など、日本の女子フィギュア界は実力者・人気者がそろい、空前のブームの中にあった。
そんな中、高橋は日本の男子フィギュアの道を先頭に立って切り拓いてきた。
そんな孤高の戦いを続けていた高橋は女子フィギュアのことを、どう思っていたのだろう。

---当時の女子と男子の違いを感じたのはどんな時ですか?

高橋「同じ成績をとった時の記事の大きさとか。あとお客さんの入りとか。全日本選手権が一番わかりやすいんですけど、女子のショート終わった日に男子のフリーなんですよ。そして男子になると、女子のときは一杯だった客席が空いているんですよ。(観客が)帰るんですよ。
ああ、お客さんがいないなって。クソって思ってて。何で同じフィギュアなのにアレなんだよっていう感じで。やっぱり近くに華やかなものがあると、自分もそうなりたいって思うじゃないですか。そういうモチベーションはあったと思いますけどね。
やっぱり、どこまでいっても真央には勝てないですからね、注目で言うと。だから彼女の存在は大きかったと思いますけど」

---女子に負けたくないっていう気持ちでやってきた中で、どういう風に注目をひきつけようと?

高橋「注目は結果しかないって思いますから。やっぱりメディアに出るには、結果を残していくしかないじゃないですか。もしね、ものすごいかっこいい、かわいい選手がいたとしても、やっぱり結果が伴わなければ、引いていくじゃないですか。結果を出してのアスリートなので。しかも1回じゃなくて続けなければ、人は絶対に離れていくと思うので。どれだけ人気があったとしてもね」

今、テレビ関係者の間では、浅田真央、安藤美姫らが引退した女子より、男子のほうがゴールデンタイムのソフトとしてキラーコンテンツだと考えられている。1年前とは、全く状況が変わりつつあるのだ。世界で戦えるのか、どうか。大衆は残酷にその事実を察知し、世界で戦える者だけに、より多くの声援を送るのだ。実際、今、バレーボールという競技は、メダル争いをする女子はゴールデンで放送されるが、そうではない男子は放送が深夜になることも多い。

 

「今はゴールデンタイムでフィギュアが見られる。夢のようじゃないですか」
フィギュアへの熱い想い。そして引退の真相とは?

高橋は男子フィギュアが不遇だった頃を知っている。だからこそ、今の人気も冷静に謙虚に見ているのではないか。

---みんなで頑張った結果、男子もすごい人気になったわけですが、達成感はあるんですか?

高橋「ないですね。これからのことのほうが不安ですね。さいたまスーパーアリーナで競技ができるなんて思ってもいなかったし。実際に満員のお客さんを見た時は、ありがたいな、というか、感慨深いというか。あ、まだスケートって見てくれてるんだ、っていうのを毎回感じながら思いますね。
(今の男子フィギュア人気は)夢のような、って感じですよ。だって自分が小さい頃スケートを始めたときに、全日本選手権を見ようとしたら、夜中にしかテレビ(中継)やってないから夜中に起きて見るしかなかったし、しかも男子はほとんど放送されないっていうのが、あったじゃないですか。
今は、ゴールデンタイムで見られるんですよ。夢のようですよね。想像もしていなかったというか。でも今の状況に満足するんじゃなくて、今がリアルじゃないぞ、という風にも感じている。いつまで続くか保証がないじゃないですか。もし人気がなくなったら、どんどん会場のお客さんの入りが減ってくるじゃないですか。
でも今の状況しか知らない選手、昔を知らない選手って、そのときのモチベーションの下がりようって半端ないと思うんですよ。だから、いろんな華のある選手が出てきて一時的な人気じゃなくて定着してくれたらいのにな、って思う」

子供の頃も、世界選手権で優勝しても、男子フィギュアの人気が過熱しても、高橋は常に謙虚であり、自分の実力やその人気を含め、ことさら、低く自己評価しているようにも思える。
しかし、そこが高橋大輔という男の魅力なのかもしれない。

“引退”の決断に関して、高橋は、番組の中で、こんなことを言っている。
「気持ちとしては続けたいんじゃないですかね。ただ、どんどん惨めになっていくのが耐えられるか、耐えられないか。第一線の戦いの中で勝ち負けはあったとしても・・・第一線の中に入れないのは嫌なので」

もう少し、現役としての高橋大輔のスケートを見たかった・・・、多くのファンがそう思っているだろう。しかし、高橋は決断したのだ。自らの実力を“謙虚に”、評価して・・・。
それはそれで、高橋らしい引き際だったのかもしれない。
たとえ、世界中が、その決断を残念だと感じたとしても。

---20年続けてきたことで一番、誇れるものは?

高橋「ないです、本当にないんです。何も出来ないし、と思っちゃうんで。スケート取ったら何も出来ないなと思って」

---今後の競技の世界と離れた、新しい生活に対しては?

高橋「今は、不安しかないですけど。 僕はこういう風にやっていきたい、というものをちゃんと持ってやらなきゃダメだと思うんで。そういうものを探すというか、そういうものを見つけてからがスタートだなと思ってるので。まだ、プロ・フィギュアスケーターって言われた時に自分の中で違和感があるんですよ。まだ、ただの高橋大輔でいいみたいな感じで」

彼の口からは、何かを断言するような、そして例えば自分の実績を誇るような、いわゆる我々が想像するスポーツ選手らしい、いかにもな感じの言葉は出てこない。しかし、彼ほど、スポーツは結果なのだという厳しい現実を自分に課し、かつ実践してきた男はいない。
その自分に課したハードルは高すぎたようにも見える。
だが、高すぎるハードルだからその進化が止まる事なく、大大大大大・・・・・偉業を成し遂げることができたのだと私は思う。
(敬称・略)

◇コラム作者プロフィール◇

菊野浩樹 1968 514日 生まれ 1992 TBS 入社
「バース・デイ」(TBS系にて毎週土曜夕方5時~530分に放送中)企画・プロデューサー。 
これまで「プロ野球戦力外通告」「石橋貴明のスポーツ伝説」「SASUKE」「モニタリング」「サワコの朝」などを担当。2012年には「劇場版 ライバル伝説~光と影」の総監督を務める。現在はTBSテレビ編成局編成部 長期戦略担当部長。
12
30日、夜10時~「プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男たち」
2015
13日、夜9時~「独占!長嶋茂雄の真実」をTBS系列にて放送。

201412209.png 2014122010.png

TBSテレビ『バース・デイ』◇

独占激白!髙橋大輔 20年間の苦悩と引退の真相2014/11/08オンエア)

http://www.tbs.co.jp/birth-day/onair/oa141108.html

◆内容◆

1014日。日本男子フィギュア界を牽引してきた男が、引退を発表した。髙橋大輔、28歳。2010年のバンクーバー五輪で、日本男子、初のメダルとなる銅メダルを獲得。その実績もさることながら、日本男子フィギアの地位と人気を押し上げた立役者。この男がいなければ、歴史は変わらなかったかもしれない。

先週土曜日(111)。その髙橋が独占インタビューに応じてくれた。引退会見後、彼がテレビのインタビューに答えるのは、初めてのことだ。しかし、笑顔とは裏腹に、髙橋の口からこれまであまり語ることのなかった本音が次々と飛び出した。日本のエースとして、戦い続けた髙橋大輔が、全てを語った。

スケートとは無縁のごく普通の家庭で生まれた彼の人生は、7歳の時、知り合いに連れてってもらったスケート場で大きく変わった。そんな髙橋の才能を見抜いたのは、中学2年で出会った、1人の女性だった。振付師兼コーチとして活躍していた長光歌子。長光は初めて彼を見た時の衝撃が、今も忘れないという。
長光「こんな感性豊かな子が日本にいるんだから、これは絶対早く世界の人に見てほしい」
髙橋「すごい楽しかったんですよ。すごい褒めてくれたんで、それが嬉しくてどんどんやろうって」
結果はすぐに現れた。中学2年、3年と全国大会を連覇。そして、長光は髙橋を本格的に育てようと、驚くべきことを実戦する。中学を卒業した髙橋を、なんと自宅に下宿させたのだ。コーチとして、時にもう1人の母として、引退するまでの14年もの間、長光は献身的に支えてきた。
今でこそ、絶大な人気を誇る男子フィギアスケートだが、一昔前までは、フィギアといえば、女子にしか注目が集まらない競技だった。だんしは女子が放つ光の影に過ぎなかった。そんな状況を一気に変えたのは、紛れもなく髙橋だった。髙橋が初めて五輪の代表に選ばれたのは、8年前のトリノ五輪。しかし、当時の話題は、女子一色。髙橋に関する記事は小さなスペースしか割かれていない。そして迎えたトリノ五輪では、荒川静香が、日本フィギア界悲願の金メダルを獲得。一方、男子唯一の出場で、8位。大きく水をあけられていた。
結果を出すしかない。そう心に誓った髙橋は、五輪後の大会で、何度も表彰台に上がる。そして2010年、荒川の快挙から4年、髙橋は金メダル候補として、バンクーバーの舞台に立った髙橋は銅メダル。日本男子、初のメダル獲得をした。実はこの五輪の1年半前、右ひざ・前十字靭帯を断裂。壮絶なリハビリを続けていた。そんな地獄の苦しみを乗り越え、掴んだ栄光だった。髙橋は、一躍時の人になり、男子フィギュアへの注目は格段に上がった。
今年のソチ五輪では、当然の様に日本中が金メダルを期待する存在となっていた。しかし、ソチ五輪では、日本中が髙橋の金メダルを期待していた。しかし、その期待を感じる反面、髙橋は2年ほど前から自分が置かれている立場に不安を感じていたという。
髙橋「本当にいつ外れるんだろうっていう感じで過ごしていたんで、空回りしていた。やっぱり羽生君の存在が大きかった」
髙橋が銅メダルを獲得したバンクーバー以降、男子フィギュア界の情勢は大きく変わろうとしていた。小塚崇彦や町田樹など下の世代が台頭し、世界で結果を残すようになった。特に意識したのが、20123月、17歳で世界選手権銅メダルを獲得した羽生結弦だった。
髙橋「彼は場を支配するというか、そういう空気感を出す選手。テクニックもすごい持ってるし、すぐに(勢力図が)変わっちゃうなって思った。自分が結果を残せなかったら。」

201312月、ソチ五輪代表を決める全日本選手権に出場。しかし、この1ヶ月前、右すねの骨挫傷に見舞われ、満足な練習が出来ないままの出場だった。結果は5位。優勝は羽生結弦だった。髙橋は、世界ランキングでの実績が評価され、五輪代表に選ばれたが、意識続けた「世代交代」という言葉を世間が囁き始めたことを、髙橋も敏感に感じていた。。そして迎えた今年2月のソチ五輪、これが最後の五輪。そんな思いでリンクに立った。日本のエースとして3度、五輪の舞台に挑んだ男の集大成。髙橋は、最後の演技を笑顔で終えた。結果は6位。日本中の期待を背負い続けた男の魂の演技は、メダルこそ届かなかったものの、多くの人々に感動を与えた。そして、この6分後、ひとつの歴史が刻まれた。金メダルを獲得した羽生に、髙橋は、こんなエールを贈った。
「これからは彼が、日本を背負っていく。引っ張って行ってもらいたい」
そして、五輪から8ヶ月後、髙橋大輔が引退を発表。最後に聞いてみた。髙橋大輔にとってスケートとは?
「一番自信を持てる場所。自分の居場所だった。」

日本のスポーツに新たな歴史を刻んだ髙橋大輔。その不屈の魂は、後輩たちに受け継がれ、どんな実を結ぶのか。今後は、プロスケーターとして、活動をし、第2の人生を模索していくという。

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