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1/29 競技者であり続ける恩田美栄  フィギュアスケート育成の現場から(6)

(2015-01-29)

報道機関

Sportsnavi

見出し

競技者であり続ける恩田美栄  フィギュアスケート育成の現場から(6)

配信日

20151月 29日 1117

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/figureskate/all/1415/columndtl/201501260008-spnavi

◆内容◆  松原 孝臣

・「教えるのは簡単なことじゃない」

2002年のソルトレイクシティ五輪出場をはじめ、国内外の数々の大会で活躍。07年春に競技生活から退いた恩田美栄は、その後、指導者を志し、08年5月には「スペリオール愛知FSC」を立ち上げた。
 競技へのこだわりから、プロフィギュアスケーターよりも指導の道を選んだ。
 今日まで教え続ける中で、すべてが順調であったわけではなかった。
 選手とコーチの立場の違いを痛感したのもその1つだ。
「現役のときは、ただ練習すればいいと思っていたから、コーチになっても、『練習しなさい』と言えばするものと考えていたんですね。だから初めの頃は、『右向け、右』みたいな感じでやっていました」
 だが、そうではなかった。
 選手であった頃は、自分がどれだけ頑張ればいいかを考えていればよかった。しかし、何人もの生徒を教えるとなれば事情は異なってくる。1人ひとり性格は違うし、同じアドバイスをしても、受け止め方が変わってくる。その日その日で気持ちも違う。
「例えば、こういう状況ならこんな精神的な状態にあるという選手時代の経験を持っていても、教えている生徒には当てはまらなかったりするということに気づきました。それを知る前は、『こうしなさい』と言っても、それが砕かれるようなことがありました。コーチは単に教えるだけじゃいけないんだと、何年もかけて分かってきました。
 だから、一見スケートとは関係ない話をしたりして、コミュニケーションをとるようにしています。始めた頃には思ってもいなかったですけどね。本当に教えるのは簡単なことじゃない。一番しんどいのは、年に3回くらいあります。自分のやってきたこと、やっていることが正しいのか、自分に問い掛けるときです。そのときが大変かな」

フィギュア人気の実感はあまり感じられない

 それでも、気持ちが切れることはなかった。
「大変なことがあっても、モチベーションそのものはぜんぜん変わらないんですよ。自分は何時間同じことをやっても苦じゃないし、競技者であるという意識、試合に向けて頑張っていく気持ちは今も変わらない」
 そして、今日まで教え続けてきた。
 その年月の間に、フィギュアスケートの認知度や人気や注目度はさらに高まっていった。恩田もそれを認める。
「そうですよね。昔はフィギュアスケートは深夜に放送するくらいのものだったのに、ゴールデンタイムに放送されるのも珍しくないのが今ですよね」
 ただ、「現場」に立つ恩田には、その変化の実感はあまり感じられないと言う。

「ソチ五輪が終わって、スケートをやる子が増えたかと言えば、そんなことはない。バンクーバーの後は増えた実感はありました」
――その背景にあるのは?
 すると、こう答えた。
「やはり、スケートはお金がかかるということもあるのではないでしょうか。自分も現役だった頃、よく続けてこられたなと思います。『うちは賞金のお金でしかやっていけないから。底がついたらおしまい』と言われていましたから。
 ですから、子供にやらせたいという方が来られたときは、最初にお金の話をして確認します。もっとそういう面でも、現場が取り組みやすい環境になればいいのにな、という気持ちになることもあります」

・選手が切磋琢磨していた時代

また、環境という点については、こうも語る。
「名古屋にもう1個リンクがあったらいいのに、と思うこともあります。もうちょっと分散できると練習するには楽なのにな、と」
 そのあとで恩田は「ただし」、と言った。
「環境がどうあれ、その中でどのように練習すればいいのか、育てていけばよいか、工夫していくのも大事だと思います」
 そこには、自身の体験がある。
「私が選手だった頃もリンクは混んでいたんですね。でも、たくさんの選手が育った。思い出すのは、(中野)友加里ちゃん、(安藤)美姫、それに(浅田)真央ちゃんがいたりしたわけですけど、誰かがジャンプを跳ぶと、変な話、いやでも跳ぼうとするというか足がひとりでに動き始めるんです。『私も跳ぼう』と連鎖反応が起こって、ジャンプがエンドレスになっていく。熱意がお互いに伝わっていくと言えばいいのか」
 知らず知らずに切磋琢磨(せっさたくま)していた時代だった。
「みんな、人がいたとしても跳んでいた。混んでいても、ちょっと隙を見つければ跳んだ。1点に集中して跳べば跳べる。ちょっとでも気をそらせると跳べない。あの集中力というのは、すごかったですね。育てる環境としてはよくなくても、奮い立たせる環境としてはよかった。だから、名古屋にいたメンバーには感謝ですね」
 だからこう考えている。
「環境がどうあれ、言い訳することなく、取り組んでいかないと。環境がいいせいで甘えが出ることだってあるわけだし、悪い中でもできることはたくさんありますから」

小さな一歩が大きな一歩に

 恩田のスペリオール愛知FSCは、大きいクラブではない。歴史も新しい。そうそうたるクラブが数ある中で、存在感をどのように出していくのか、それは決してやさしいことではない。
 すると、恩田は言った。
「こんな励ましを受けたことがあるんですね。『小さな一歩が大きな一歩になるから頑張りなさい』。そのつもりです」
 そして続けた。
「リンクに立ったら、もう選手本人がやるしかない。だからこそ、そこに立つまでの、それこそ毎日のプロセスが大事です。そこで悔いのないようにして、選手を送り出したいですね。自分がそうであったように、選手に完璧に演技させたい、それだけを思っていますね」
 いかなる環境でも言い訳せずに取り組みたい。選手を万全な状態でリンクに立たせたい。選手とともに競技者でありたい。
 そこに、恩田美栄の指導者としての信念があった。(第7回に続く/文中敬称略)

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指導者としての道を選んだ恩田美栄だが、すべてが順調であったわけではなかった
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恩田の選手時代、名古屋には互いに切磋琢磨する環境があった

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