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10/14 高橋大輔が引退表明 メダルが似合うスター選手

(2014-10-14)

報道機関

産経新聞

見出し

高橋大輔が引退表明 メダルが似合うスター選手

発行日

20141014日 1529

http://www.sankei.com/photo/story/news/141014/sty1410140007-n1.html

◆内容◆

フィギュアスケート男子の2010年バンクーバー冬季五輪銅メダリストで、世界選手権でも優勝するなど長年日本をエースとしてけん引した高橋大輔(28)=関大大学院=が14日、現役引退を表明した。岡山市内で記者会見し「僕自身にとっても急な決断。目標は決まっていないが、次に進みたい」と話した。

高橋は集大成と位置付けて金メダルを目指した2月のソチ五輪で右膝故障の影響もあって6位に終わり、日本開催だった3月の世界選手権を欠場。今季は休養する考えを示していた。
 岡山県倉敷市出身。02年世界ジュニア選手権の優勝、10年五輪のメダルと世界選手権制覇、12年のグランプリ・ファイナル優勝はいずれも日本男子で初の快挙だった。

■「9月半ばに引退を決断」後悔の念も…

 --引退表明するに至った経緯は
「8月にアイスショーが終わり、これからのことを考えていく上で、すっきりしなかった。休養したままで『戻る』『戻らない』で悩むことは、次に進みにくいと感じた。自分の中で『引退』とひと区切りつけてから次に進もうと思った。決めたのは9月の半ば。新しいシーズンが始まる前にと考えた」

 --けがも要因か
「けがは大きな理由ではない。モチベーションという部分では、4年というものを考えた。最後だと思ったソチ五輪が万全の状態ではなく、満足のいく結果でもなかった。現役を続けたとしても、頑張れる自分がいるのか、モチベーションを保つのはすごく難しかった。いまの自分では不可能だと感じた」

--現在の心境は
「正直、現役に未練がないわけでもないが、(表明したことで)すっきりした気持ちにはなれた。一方で、現役最後の大会がソチ五輪になった。(3月にさいたまスーパーアリーナで行われた)世界選手権だけは出ていればと後悔もある。ファンの皆さんに準備がないままでの表明に申し訳ないなと思う。」

 --今後の予定は
「まだ決まっていない。アイスショーに出つつ、1年、2年はフィギュアスケートから2、3歩くらい引いた生活をしていく中で、探していこうと思っている。自分がフィギュアスケートにどこまで情熱を持っているのか、少し引いたところから向き合ってみたい」

 --現役時代の一番の思い出は
「一つひとつ(大会が)終わってしまえば、次に向かってきたので、振り返ることがなかった。一番の思い出と聞かれると難しい。すべてが思い出だったかな」

--ファンに向けては
「引退すると言ってから、競技を見せることができなかったことを後悔しているが、スケートを完全に離れるわけではない。これからも皆さんの前で滑っていきたい。もしかしたら、違った形になるかもしれないけれど、もう一回、応援したいと思ってもらえるようになりたい」

201410142.png 2010年、トリノで行われた世界選手権では〝アベックV〟を果たした。優勝会見で金メダルを手に笑顔の高橋大輔と浅田真央
2014101431.png 

会見で引退を表明した高橋大輔

201410144.png

バンクーバーでは銅メダル

201410145.png

2007年の世界選手権で銀メダル

201410146.png

地元財団の表彰式に出席し引退を表明。母の清登さんと並ぶ高橋大輔


☆日本男子・功労者の決意 満身創痍…「気力に限界」と関係者  (産経新聞 2014/10/14 1019

http://www.sankei.com/sports/news/141014/spo1410140017-n1.html

◆内容◆

フィギュアスケート男子の人気を牽引(けんいん)してきた功労者が、引退を決意した。

 3大会連続で、「最後の五輪」と位置づけた2月のソチ五輪。体はすでに満身創痍(そうい)だった。昨年11月に負傷した右脚は最後まで回復せず、08年に前十字靭帯(じんたい)断裂という大けがを負った古傷の右膝も関節炎で水がたまる状態だった。ただ、関係者は28歳の心境について、「けがよりも、気力の部分で(現役を続けることが)難しくなったようだ」と明かした。

 バンクーバー五輪で日本人初の表彰台に上がる銅メダルを獲得。世界選手権優勝も、グランプリ(GP)ファイナル制覇も日本人初の快挙で、日本男子の黄金時代の第一人者であり続けた。

 長野五輪などの代表だった本田武史らの背中を追い、織田信成、小塚崇彦とはバンクーバー五輪のリンクに立った。自らに憧れた町田樹がいて、その下から羽生結弦という初の五輪金メダリストが生まれた。激しい競争は想像するだけで息苦しくなるが、高橋はこう話したことがある。

 「男はみんな負けず嫌い。ちょっとでも甘えそうになると、素晴らしい選手が出てくる。そのことがモチベーションだった」

 卓越した表現力よりも、高く跳べる4回転ジャンプよりも、高橋がよりどころにしてきたのが、ライバルたちに「負けたくない」という気持ちの部分だった。それゆえに、気力の限界は、引退へと直結した。(田中充)

 

☆高橋大輔引退 「子供たちのあこがれ。後進の指導に来て」 関大アイスアリーナの関係者 (産経新聞 2014/10/14 1140

http://www.sankei.com/west/news/141014/wst1410140028-n1.html

◆内容◆

高橋大輔が練習を重ねた関西大アイスアリーナ(大阪府高槻市)で、平成18年のオープン当初からアリーナを管理してきた関西大事務局の御崎基(みさき・もとし)さん(53)は引退を知り、「本当におつかれさまという思いと、ありがとうという感謝の気持ちでいっぱい」と話す。

 御崎さんは「長い間、男子フィギュアの第一人者として引っ張ってくれたフロントランナーだけに、一つの時代が終わった気がする」と語り、「辛いリハビリにも耐えて、バンクーバー五輪で銅メダルを取ったときの感激を思いだす」と往年の輝きを振り返った。

 アリーナでは子供向けのスケート教室も盛んに行われており、「高橋選手は子供たちの目標であり、あこがれの存在。今後もスケートにたずさわり、たまには後進の指導にも来てほしい」とも話した。

☆「臨海スポーツセンター」廃止危機に立ち上がった高橋、存続の貢献者に「ありがとう」の声 (産経新聞 2014/10/14 2106

http://www.sankei.com/west/news/141014/wst1410140055-n1.html

◆内容◆

高橋大輔は、かつて練習拠点にしていた大阪府高石市の「府立臨海スポーツセンター」(臨スポ)の廃止騒動が持ち上がった際に、先頭に立って存続を呼びかけ、存続に導いた。引退の知らせに、リンク関係者からは「寂しいがありがとうと言いたい」と感謝の声が上がった。

 臨スポは平成20年に府の財政再建策の一環として廃止案が浮上。高橋らが中心となって署名や募金活動を続けた結果、昨年2月までに存続に必要な改修費の半額にあたる約1億5千万円の募金が集まり、府は臨スポの存続を決めた。

 閉鎖の危機を免れた臨スポでは“第2の高橋”を目指す子供たちが連日、練習に励んでいる。「支援の会」の高林永(なが)統(つね)会長(52)は「高橋選手は臨スポ存続の最大の貢献者だ。これからもスケート界全体を引っ張っていってほしい」と期待を込めた。



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