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4/14 【中野友加里のスケーターたちの素顔】力出し切って引退 「美姫、お疲れさま」

(2014-04-14)

報道機関

SANKEI  EXPRESS

見出し

【中野友加里のスケーターたちの素顔】力出し切って引退 「美姫、お疲れさま」

発行日

2014414日 1320

http://www.sankeibiz.jp/express/news/140414/exe1404141320002-n1.htm

◆内容◆

 安藤美姫(みき)さんがリンクに姿を見せたとき、時計の針は深夜の午前1時半を回っていました。新横浜スケートセンターで1人きりでの練習。昨年(2013年)4月に長女を出産し、7月にテレビの報道番組で公表した後のことです。彼女は競技復帰に向けて自分を追い込んでいました。

 私が小学生だったとき、地元の愛知県大会で「2級にすごい子がいる」という評判が立っていました。それが美姫でした。私は違う級だったのですが、2学年下の彼女はすでに3~4級で求められる2回転ジャンプを簡単にこなしていました。さらりと滑って2級の部であっさりと優勝。今でも記憶に鮮やかに残っています。

 初めて一緒になった海外遠征は、私が高校1年で彼女が中学2年のときのジュニアのグランプリ(GP)ファイナルでした。この大会で彼女は優勝。そのときのエキシビションで、後に女子初の4回転ジャンパーの称号を得ることになる彼女は、3連続3回転ループジャンプをやってのけたのです。

 まさに才能あふれる逸材。当時、指導をしていた小塚崇彦(こづか・たかひこ)選手(トヨタ自動車)の母、幸子コーチが「才能がすごすぎる」と話していたのを立ち聞きしたこともありました。

私が早大に入学し、横浜で佐藤信夫コーチに師事するようになったとき、すでに教え子だった美姫との仲も深まっていきました。シニアに上がってからも遠征の部屋が一緒だったりしたので、お互いに気心が知れ、よく練習帰りにお茶をしながらスケート談義に花を咲かせたりしました。性格はかなり違う2人でしたが、なぜか相性は良かったのです。

出産後を取材

 そんな彼女のサプライズな発表が、長女出産でした。妊娠も知らされていなかった私がそのことを伝えると、「あれっ、知らなかったっけ」と笑う美姫に唖然(あぜん)としたのを覚えています。

 昨年(2013年)8月、私は彼女のお母さんに、美姫を取材させてほしいとお願いにいきました。

 出産発覚直後から、世間には彼女に対する冷ややかな声もありました。しかし、フィギュアスケートの世界で、子供を産んでもう一度リンクに戻ってくるというのは大変な選択なのです。それを2度も世界女王になった美姫がやろうとしている。私もその過程を見てみたかったですし、昔から一緒に競技をしてきた私にしか聞き出せない心の内もあると思ったのです。

 取材許可をもらい、テレビカメラを持ち込んだときの様子が冒頭のシーンです。

 彼女は復帰当初、「ジャンプをひとつひとつ戻していくのがこんなに大変だとは思わなかった。特に得意だったルッツが跳べない」と悩んでいました。

私が早大に入学し、横浜で佐藤信夫コーチに師事するようになったとき、すでに教え子だった美姫との仲も深まっていきました。シニアに上がってからも遠征の部屋が一緒だったりしたので、お互いに気心が知れ、よく練習帰りにお茶をしながらスケート談義に花を咲かせたりしました。性格はかなり違う2人でしたが、なぜか相性は良かったのです。

出産後を取材

 そんな彼女のサプライズな発表が、長女出産でした。妊娠も知らされていなかった私がそのことを伝えると、「あれっ、知らなかったっけ」と笑う美姫に唖然(あぜん)としたのを覚えています。

 昨年(2013年)8月、私は彼女のお母さんに、美姫を取材させてほしいとお願いにいきました。

 出産発覚直後から、世間には彼女に対する冷ややかな声もありました。しかし、フィギュアスケートの世界で、子供を産んでもう一度リンクに戻ってくるというのは大変な選択なのです。それを2度も世界女王になった美姫がやろうとしている。私もその過程を見てみたかったですし、昔から一緒に競技をしてきた私にしか聞き出せない心の内もあると思ったのです。

 取材許可をもらい、テレビカメラを持ち込んだときの様子が冒頭のシーンです。

 彼女は復帰当初、「ジャンプをひとつひとつ戻していくのがこんなに大変だとは思わなかった。特に得意だったルッツが跳べない」と悩んでいました。

8月から全日本まで彼女に密着していた私は、出産していろいろ言われながらこんなにも影で努力している彼女を、取材者の立場で追いかけることができたことに達成感がありました。何より同じスケーターとして「時間がない中で、本当によく頑張ったな」と尊敬の念も抱きました。全日本の演技直後、彼女は私が向けたカメラに「引退します」と打ち明けてくれました。進退を私だけに話してくれたのです。

 実は、彼女が休養していた2011年12月に、彼女から「相談がある」と食事に誘われたことがありました。そのときは引退するかどうかで悩んでいました。私は「まだやれると思っているなら、続けてみたら」とアドバイスしました。

 私は10年のバンクーバー五輪出場を逃した時点で体も気持ちも完全燃焼していました。そのときの私に比べて、「彼女はまだできる」と思ったからです。でも、全日本の後に「引退する」と言った彼女は、力を出し切ったという表情をしていました。

 引退した彼女はいま、テレビでの仕事などで彼女なりに模索しながら新たな挑戦をしているように見えます。

そんな美姫の小さいころからの夢は、フィギュアスケートのコーチになることです。将来、五輪や世界選手権で教え子とともに、演技後に得点結果を待つ「キスアンドクライ」に座っている指導者になってほしいと心から願っています。10年後には、お互いにいろいろなことを相談できるママ友になっていられたらいいなと思っています。

 美姫、長いスケート人生、本当にお疲れさまでした。(元フィギュアスケート選手、フジテレビ職員 中野友加里(ゆかり)/撮影:大里直也/SANKEI EXPRESS)

 ■なかの・ゆかり 1985年、愛知県江南(こうなん)市生まれ。史上3人目のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に成功し、2006年~08年まで3年連続で世界選手権日本代表。10年に現役引退し、フジテレビに入社。早大大学院修了。著書「トップスケーターの流儀~中野友加里が聞く9人のリアルストーリー」(双葉社)が発売中。

yukari11022.png

3月にさいたまスーパーアリーナで行われたフィギュアスケート世界選手権で、取材者として顔を合わせた安藤美姫(みき)さん(左)と中野友加里(ゆかり)さん

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